
小学生の時だっただろうか、「わたしが一番きれいだったとき」という詩を教科書で読んだのは。細かい描写は覚えていないのだけれど、自分が一番見目麗しかった時は戦争の真っただ中であり、夢見たような青春は送れなかった、という内容だったと思う。
当時もう相当に拗らせていた私は、「自分に美しかった時があるって自分で言えるのすごいな。私は無理だ。そもそも美しかったことなどないしこれからもない。」と戦争の悲惨さとかどんな状況でも前を向く作者のまっすぐさとか、詩の本質を一切無視した感想を抱いたものだ。
そんな記憶が蘇ったのはパスポートのオンライン申請に悪戦苦闘している最中だった。
↓めちゃくちゃ苦戦している
古い分の旅券番号も必要とのことで、10年近く前に有効期限が切れたパスポートを引っ張り出してきて顔写真のページを開いた時だった。20代前半の私を見て思ったのだ。
私、可愛くないか?
決して浜辺美波だったり今田美桜みたいに、誰もが納得するような愛らしさがあるわけではない。ただ若者だけが放つ輝きがそこにはあった。私にもあったのだ、きれいだったときが。
失って初めて気づくなんて今時陳腐にも程がある言葉だが、なかなか本質をついていると思う。もっと早くに気づいていればなぁ。
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